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2013年3月29日 (金)

オオルリシジミ

オオルリシジミ
ギフチョウ!ギフチョウと騒いでいたら、たまにはほかの種類にも触れろと言われて、春の蝶と言えばヒメギフ、ウスバシロとなるが、何回も触れてきたので、今回は私の最も好きなオオルリシジミを!

オオルリシジミは現在熊本県の阿蘇山と長野県の安曇野市と東御市の北御牧地区のみしか見られないと言われ、さらに北御牧地区では1990年代には絶滅されたと、安曇野市でも1996年に絶滅したと言われ、それも採集者の採集圧と言われてきた。 確かに卵採集のために、産卵された時期に生息地のクララの花穂を全て切り取られ全滅したという生息地、たとえ上田市の下之郷などは地元の農作業をされていた方々が驚いたほどの荒業であるが、オオルリシジミの絶滅と言われる原因は採集圧より、農耕地の区画整理で畦道などに自生していたクララは根こそぎ掘り起こされ、また、千曲川流域は国から地元に払い下げられ、時を同じくして農耕具の開発で草刈りが鎌から草刈り機に代わり、それまで地元では「蛆(ごうじ)殺し」と言われたクララは、手で触ることを嫌がり鎌では刈り取られることがなかったが、機械では一網打尽。クララの人為的な作業による減少。

さらにりんご畑などへの消毒により周辺のクララでは幼虫は育たない。好生息地があった小諸市は関越自動車道のIC新設場所に、それに伴う道路新設などで壊滅的な打撃を受けたなど人為的な要素が第1の原因である。

北御牧地区を含め、本州では絶滅と騒いでいたが、絶滅と騒いでいた信州大学や北御牧地区の人たちがどのくらいオオルリシジミに関心をもち、どのくらいの年月調査をしていたか疑問であり、少なくてもオオルリシジミの生息地探索、生息調査は私のほうがはるかに長く、深く、長野県が絶滅を騒がれていた年月でもわずかながら生息はしていた。

そもそも北御牧地区にしても、私が多数の生息地を発見し、採集に行っていた当初は地元の人たちは大きなネットを持ち、農耕地の回りを歩く私を不思議な目で眺め、農作業をしている方々とはいつの間にか話をするようになり、クララの自生地を教えてくれ、畦道などの草刈りの時、クララは刈らないでくれるようになり、蜜月関係を築きながら毎年オオルリシジミの発生時期に会うのを楽しみにしていたほどである。 絶滅を騒がれている年代も北御牧地区を始め、佐久市、上田市、北佐久郡立科町から上水内郡信濃町、新潟県妙高市などには生息地があり、絶滅などはしていない。
東御市の保護活動には幾つかの問題点はあるが、北御牧地区周辺の個体数が増えた素晴らしい実績は大いに認めるべきである。

オオルリシジミの最大の天敵は卵に寄生するメアカタマゴバチであり、またクララを丸坊主にしてしまうウスベニオオノメイガであろう。
蛹では、クララの根元の枯れ葉を取り除かないままの野焼きで熱に耐えられなく死んでしまう人為的な気配りのない作業。さらにクララの根元で羽化し、クララの茎を登り翅を伸ばす前に、茎につく泡虫の泡に捕まってしまう個体、無事に成長し、飛翔できるようなってもアブやオオシオカラトンボに捕まってしまう個体など天敵も少なくない。
オオルリシジミに関しては書き終わることがないほど、習性から探索時期の思い出などつきないので、また、機会があったら続編をと思いつつ今回はお・わ・り。

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