2012年12月10日 (月)

人間国宝!

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人間国宝!

人間国宝!

人間国宝!

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昨日9日は狂言・山本東次郎先生の人間国宝認定を祝う会が帝国ホテル・孔雀の間で開催された。
今回は狂言関係者以外の先生の後援者やお世話になっている方などプライベートな知人のみ350人。NHKアナウンサー・葛西聖司さんの軽妙な司会で始まり、最初のご祝辞は歌人・日本芸術院会員の馬場あき子先生。

馬場先生とは蝶を歌いたい、酒を飲む蝶を歌いたいと、数年前に沖縄へフタオチョウやコノハチョウなどを観察に案内したのが本格的に親しくさせて頂いた始まり。
80才を越えるのに沖縄では夜、35度の泡盛古酒をロックで飲まれ、とにかく驚くほどお元気で、いつ会っても驚かされる。

北海道から九州、韓国からもお祝いに駆けつけられた方々の挨拶が続き、乾杯!
立食のパーティーではステージ前の席に馬場先生に呼ばれ、ご一緒させて頂いたが、周囲で杯を傾け、談笑する方々はとにかく別世界の人たちだ。

さらに馬場先生の元には次々と著名人を初め多くの方々が挨拶に訪れ、その度に 「私が蝶を読む時の師匠、蝶屋の柿澤さん、・・・」と紹介され、こんな席に同席していていのだろうか?と。
スクリーンには東次郎先生の幼い頃から現在に至るまでの写真が、司会者の葛西さんと東次郎先生の解説で次々に映されていく。
また、先生の挨拶では幼い頃の厳しい稽古などから、想いで話や公演中に停電になったエピソードなどのほか、幼い頃の厳しい稽古に逐われるなか、窓の外を飛ぶ蝶をみて、その先には自由な楽園があるのだろうと、蝶を追いかけるきっかけや未だにその楽園を探し求めて蝶を追いかけているなどの話もあり、パーティーは凄い盛り上がりをみせていた。

山本東次郎先生とは沖縄を初め、毎年何回か採集にご一緒させて頂いているが、とにかく健脚で、お目当ての蝶がいれば、思わず私が声をかけるほど危険な、急な崖なども軽やかに登ってしまう。
「狂言で鍛えた体力で蝶を追いかけているのか、蝶を追いかける体力で狂言をしているのか?」と私が聞いたことがあり、先生の著書にもその言葉が、「私の蝶友の言葉では・・」と引用されているが、とにかく蝶採集時の先生の行動力には驚かされる。
6時から始まったお祝いの会は、予定時間を過ぎた9時過ぎまで盛り上り、最後は山本会のメンバーによるお祝いの唄いでお開きになった。
会場出口では先生ご夫婦でのお見送りが、その時二次会のお誘いがあり、ホテル13階のバ―で、先生抜粋の20名弱で二次会が。
この席も参加者はそうそうたるメンバーで、11時過ぎまで再度盛り上がった。
写真は式次第!
祝辞の馬場先生!
祝辞の韓国の芸術人!
唄いの山本会の方々!

2012年11月12日 (月)

秘境・秋山郷!

秘境・秋山郷!
志賀高原の岩菅山から発した雑魚川と新潟県内にただひとつ他県に源をもつ魚野川が秋山のいちばん奥の切明で合流し、千曲川の支流、中津川となり、この中津川は左岸に急峻な鳥甲山[2038m]、東側には信越国境の山、苗場山[2145m]の間を流れ、新潟県中魚沼郡津南町大割野で信濃川と合流する。この深い渓谷の谷間にある長野県下水内郡栄村に位置する下赤沢、屋敷、和山、切明 上の原の五集落。
それに新潟県中魚沼郡津南町の大赤沢、前倉、上結東、中ノ平、見倉、清水川原、逆巻、穴藤の八集落を合わせた十三集落を総称して秋山郷と呼んでいる。

冬季の積雪は3〜4mに達し、根雪は11月〜5月の半年に渡ることから、以前は交通機関は途絶し、陸の孤島となった。   
厳しい自然は、豊かな山の幸、川の幸とはいえ、自然採取の自給自足の生活であれば、一度の天災は人々を恐怖におとしいれた。
1783年、浅間山大噴火による大飢饉では下赤沢では173人が死亡。
大秋山、矢びつの2村が全滅、さらに10年後の大飢饉で甘酒村も滅んだ。

現在でも冬季には津南町から切明への国道405以外には秋山郷への交通ルートはない。
こんな秋山郷に興味をもったのは蝶の文献からである。
信州は蝶の宝庫と呼ばれるくらい、多数の本に各地の生息種など詳細が記されているが、どんな文献にも[秋山郷では6月にギフチョウがみられる]と紹介されているのみで、詳しい記載は一切見あたらない。
信州育ちの私でさえ、秋山郷が何処にあるのか?どんな所だろう?交通機関は?と全く知らない地域であった。
東京から遠いな!   どのくらい時間がかかるのだろう?
どんな蝶がいるのだろうか?
考える始めたら調査をするのみと、春から秋まで年間4〜5回の調査を始め23年が経過した。 調査を始めて.17年が経過した2006年に蝶の生息種類、生息地、さらに歴史、温泉、食、宿、幸、彩、湯などをまとめた[秋山郷]を出版。

豪雪地帯の秋山郷は今でも3〜4mの積雪があるが、唯一の生活道路である国道405は冬季になると、国道脇を流れる沢の流れを変え、国道に沢の水を流し積雪や凍結を防いでいる。
国道の両側は雪の壁となり、国道は川となって激しい流れとなる。
時には塞き止められた沢に住み着いていた尺岩魚が国道上を泳ぐ光景さえみられることがある。

これほど積雪量の多い地域であるから春が遅いと思うのが一般的であるが、長野県側の秋山郷は各集落には必ず日帰り温泉があり、特に切明では河原を掘って露天風呂を楽しめる。 温泉が各集落にあることから想像しても地温は高く、5月初旬にはギフチョウがみられる。
長野県の秋山郷を代表する蝶はギフチョウ、カラスシジミ、フジミドリシジミ、オオゴマシジミ、オオウラギンスジヒョウモンなどであろうが、ギフチョウ生息地は20ヶ所を越し、毎年確実にイエローテ―ルが出現する。希少種のオオゴマシジミでも10ヶ所を越す生息地を確認している。

ミスジチョウ類は大型化し、白帯が消失するような個体も多い。

8月第1土曜日に開催される盆踊りは下赤沢の苗場神社前の広場で行われるが、投光器一基の薄明かりの中で、拡声器を持った人が、この地の[のよさ節]をひたすら何回も何回も歌い続けるという豊作祭りは、閉ざされた秋山を垣間見ることができる。

残雪に映える萌木色の芽吹きから秋の燃えるような紅葉、豪雪の冬と1年中飽きることなく自然の奥深さを味あわせてくれ、民家、民具、方言、信仰行事、民話、民謡、狩猟、漁猟など、近代以前の遺風様式が伝えられ、豊かな民族学の宝庫でもある秋山郷は言葉では言い現せない魅力的な地である。

私のふるさと、とも言える定宿は下赤沢にある民宿・苗場荘 [0257*67*2136]
心暖まる宿である。

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2012年11月 4日 (日)

贅沢な主治医!

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年間200日以上採集に出かけている私は怪我などは絶え間なく、さらにシ―ズン中には毎週末温泉地の宿で、ツアー参加者たちとその地の旬な美味い物をつまみに地酒でカンパ―イ!の生活が続いている。

カンパ―イ!が続けば当然のように糖尿病は持病となるが、病院通いもままならず、主治医の佐々部先生の管理下で何とか病状が進まないように努力もしているが?
佐々部先生にはお世話になりだして10年近く、北海道から沖縄、八重山諸島まで採集にも同行させて頂いている。

最初に出会ったころは小学生の低学年だった佐々部家の次男陽平君も、現在は慶応大学の医学部に通う好青年に成長しているが、嬉しいことにいまだに一緒に採集に同行してくれている。とはいえボート部に所属しているため、蝶のシ―ズンはボートのシ―ズンでもあり採集に一緒に行く機会は減っている。
それでも年間何回かは声をかけてくれて、夏場にはゴマシジミ採集に同行できた。
先生も陽平君も共通している目的はネットインしていない種類の採集である。

この傾向は蝶マニアにはほとんどの人が持ち続ける願望であろうが、未採集種が少なくなればなるほど限られた地域に生息する種が多くなり、1種類増やすのも大変になってくる。

陽平君が夏休みになり、部活もないという8月中旬に時間がとれ、毎年山梨県で難しく、個体数の少ないゴマシジミ採集しかしていないので、たまには沢山採ってみたいと長野県のゴマシジミ採集に三人で松本市の奈川に!

奈川はゴマシジミの多産地域であるが、多産する古宿や寄合渡周辺はゴマシジミが保護され、採集が禁止されている。

案内した場所は採集可能な生息地であるが、極めて局地的な産地である割には個体数は意外に多い場所である。

最初のうちはゴマシジミをみつけると声をかけていたが、次々に飛び出すゴマシジミに親子は満足気にネットインしている。
私もネットインを続けながら先生をみると、え〜!っと!
なんと驚きのリリースを繰り返している。

破損?スレ?

それにしてはリリースが多すぎる。

移動中にリリースの理由を聞くと、「黒い個体はもう飽きたから、青い個体だけを狙っている」と。
私でさえ破損やスレ以外の個体は全て確保するほど貴重なゴマシジミなのに、なんと贅沢な採集をしていることか!

佐々部先生が勤める九段坂病院ではアレルギーの血液検査をしてくれ、皮膚科の谷口先生は昆虫アレルギーに詳しくお勧めである。

【注】黒い個体、青い個体とはゴマシジミの翅表の色調である。

2012年10月 6日 (土)

私は[うた]! シルビアシジミを求めて

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今日5日は宇都宮市の鬼怒川河川敷に!

私の名前は[うた]。私の主人は後藤まる美!

主人は春先から毎週3日も4日も山に蝶採集に出かけるのに私はいつも留守番!
寂しそうに鳴く私を見て反省したのか、 本格的なシ―ズンが終わり、余裕ができてきたのか、9月に入ると私を山に連れていってくれるようになった。

道中はほとんど案内人の柿澤さんの膝にのり、腕で抱かれている。

心配なのは、私がよく食べるからと、柿澤さんが口にする食べ物を片っ端から私に進める。
好意を無にしては悪いからと口にすると次々に食べさせてくれる。

私が食べるからと、あまりの量に糖尿病にならないかと心配でならない。

今日は宇都宮市は少ないねと、採集はNGのさくら市に連れていってくれた。

さくら市のシルビアシジミは天然記念物だからと管理地を見せてくれるという。

私には読めない看板があちこちに立てられている。

でも楽しみにしていたシルビアシジミの食草というミヤコグサの花は何処にも咲いていない。

いつまで歩かせるの?

やっと帰路につき、私は歩き疲れて柿澤さんの腕の中で爆睡!

歩き疲れた私も大変だが、案内人の柿澤さんも大変だ!

[可愛い犬だね]と言われた言葉が夢の中で響き渡る!

2012年9月24日 (月)

タナゴ

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タナゴ

22日土曜日は冬場以来初めてのタナゴ釣りに霞ヶ浦に!

今店では冬場に採取したタイリクバラタナゴ、カネヒラ、オオタナゴ、アブラボテ、ヤリタナゴ,アカヒレタビラなどがふたつの水槽でお客様の目を楽しませている。

春先から続いた蝶採集もシ―ズン終盤を迎え、日程にも余裕ができてきた。

タナゴ釣りには毎回黒沢さん,まるちゃんが同行するが、今回はインセクトフェア―の前日ということで、まるちゃんは準備のため欠席。黒沢さんと二人で霞ヶ浦へ。
冬場には何回も通いつめた場所であるがこの時期に訪れたのは初めて。
タナゴ捕りは20年ほどまえには埼玉に頻繁に通っていたが、ここ何年かは久しくタナゴとは縁もなく遠ざかっていた。

昨年、何に刺激されたかは定かではないが、ある時いきなり黒沢さんに「柿さん、タナゴ釣りに行こうよ」と誘われたのがタナゴとの邂逅に。
昔は釣りではなく、四つ手での追い込み漁で,埼玉県の蓮田市界隈によく通い、タナゴの水槽も家を含め五つにもなっていた時期もあった。

タナゴ釣り,タナゴ捕りは冬場がシ―ズンであり、いまの時期のタナゴ釣りには多少の不安があった。
というのは冬場はある程度溜まり場的な場所があり、狙い場所が絞りやすいが、いまのシ―ズンは回遊活動が活発であり、何回も通いつめ、タナゴの活動範囲がわからないと非常に難しい。

これは蝶採集にも言えることで生息地域がわかっていても何回も通いつめ、蝶の活動場所、蝶道などを把握しないと成果があがらないのと同じである。

毎回冬場に釣りをした船置き場の引き込み場でまずは仕掛けを数個投げ込み,糸を垂れるが全く当たりもない。

暫く時間をおき、期待しながら仕掛けを引き上げてみるが、冬場には嫌になるほどのクチボソが入り、その中からタナゴをさがしだすのに魚が1匹も入っていないのだ。
いくつめかの仕掛けを引き上げた時、水面近くで仕掛けの中に白っぼく跳ねる魚景が目に飛び込み、ヤッタ―!タナゴだ!と急いで引き上げると、目に飛び込んできたのはタナゴではなくブルーギル
その後も繰り返し仕掛けを多少場所を変えつつ投げ込むがはいるのはブルーギルのみ。
たまにテナガエビが入るくらいで魚らしい魚は一切入らない状況だ。
しかも雨は降りやます、タナゴのみではなくクチボソなども流れのある地域を回遊している状況だろうと不安が的中してしまった。

道路の反対側、湖面側には先客のリ―ルで鯉釣りをしている地元の人がいる。

わからない時、困った時には地元の人に教えてもらうのは蝶採集時でも同様!

釣果を聞きながら話しかけ、この時期のタナゴ釣りの場所を教えてもらう。

急いで仕掛けなどを回収して教えてもらった場所を探すと、言葉通りの、いかにもタナゴのいそうな場所にたどり着いた。
湖から流れだす、俗に言う「ほそ」という、タナゴが好んで生息する小川である。

雨上がりであり、水が濁っていて泳ぐ魚は確認できないが、黒沢さんが釣糸を垂れるとすぐ当たりがあるという。
私は仕掛けをある程度狙い場所に投げ込み、周囲を歩いて今後のために様子をみる。

最終的にタナゴの姿を見ることはできなかったが、仕掛けにはモロコやクチボソなども入り、短時間の調査であったが、わずかな自分なりの経験からくる知識ではタナゴが狙えることを確信し昼前にはこの地を後にした。
タナゴは採取できなかったが、ポイントを見つけたことで満足し、車の中で「蝶と同じで何回も通わないとポイントは掴めないよね」と黒沢さんのことばが蝶採集と重なっていた。

2012年9月19日 (水)

日本語の難しさ!

採集ツアーの時や、採集地で採集者と出会った時など、採れてますか?どうですか?などとの挨拶かわりのやりとりがある。
大半先客者に対して、後から行った人が話しかける。

まあまあですね!
ぼちぼちです!
そこそこですね!

こんな返事が多く、採集数を正確に教えてくれる人は少ない。
ところが後日、〇〇さんは凄く採ったそうだよ。

と、蝶の世界は意外と狭く、何処からか情報が入ってくる。

まあまあ、は本人がある程度満足できる数!
そこそこ、は満足するまではいかないが適度には採れている。
ぼちぼち、はたまに採れるくらい。

... なのではと私なりに理解するが、では満足する数とは?

5匹、10匹、30匹と人により、狙う種により、極端に異なるだろう。

要するに正確な採集数を言い、自分の近くで採集してほしくない!ということなのであろう。

こんな気持ちを如実に物語っている会話は「此処はダメだよ!〇〇の方がたくさん採れるよ」と近くの別の産地を教えてくれる。

じぁ〜、なぜ貴方は此処で粘っているの?
そんなに良い場所があるなら、おまえが行けよ!
と、自分の近くで採集してほしくないのはみえみえだ。

貴方にとってまあまあ、そこそこ、ぼちぼち!とはどの位の数を想像しますか?

2012年8月23日 (木)

まだまだ東北被害者は

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昨年、福島県猪苗代町・会津磐梯山でのゼフィルス&柳津町周辺でのキマダラルリツバメ採集ツアーを開催時、定宿にしている柳津町の内田屋旅館、西会津町の光盛館旅館のいずれも地震による被災者受け入れで宿泊は不可能。
あちこちの宿泊施設を打診するも、長期間の被災者宿泊施設に県から指定されており、やっとみつかったのは磐梯山麓にある国民宿舎!
ここも被災者の受け入れをしているが、一般客用の部屋があるということで3部屋を予約する。

1日の採集が終わり国民宿舎へ。

1日の汗を流し、風呂上がりのビールをと夕食の準備ができている食堂へ。

汗を流した後の冷えたビールを期待しながら食堂へ入ったとたん、そこで目にした光景は、30人余りの、まだ赤ちゃんから年老いた方々までが、会話もなく黙々と食事をする異様な空気が漂っている。

私たちの風呂場から続いた和やかな、賑やかな雰囲気は一瞬でなくなり、通常のツアーの夜食時は、昼の採集の話などで盛り上がり2時間前後の飲み会兼食事が続くのだが、この日は我々も会話もなく、ビールも一杯程度で切り上げ、早々に食堂を後にした。

翌朝、早朝日の出前から活発に活動を開始するアイノミドリやジョウザンミドリシジミを求め、朝飯前の採集に行こうと4時前に出発しようと部屋をでていくと、二階の廊下に置かれた応接セットに年配の二人の方が、話をするわけでもなく、窓から外を見ながら物思いに耽っている姿が。
いつ我が家に帰れるか、親族や知り合いの方の心配など夜も眠れないのだろう。
6月下旬の初夏なのに、セ―タ―やジャンバ―などを着ている。
宿の女将に聞くと、逃げるのがやっとで着替えさえないのだという。

しかも小規模な被災者の受け入れ先には援助金や援助物資も届かないという。

大変な地震だったということはTVや新聞などである程度は理解しているつもりで、私の店でもお客様にご協力頂き、募金活動をし、集まったお金は、「個人的に募金活動をし、現地にとどけるという、スノボーのオリンピック選手であった成田堂夢君」に共鳴し、彼に預けた経過はあったが、目の当たりに被災者の姿をみることで、想像以上の近親感を感じ、何かをしなければという使命感が起こってきた。

翌週再度この国民宿舎に泊まることにし、帰京後、常に来店してくれるお客様に呼び掛け、衣類などを大急ぎで集める。
なんとわずか5日間で好意の物資は車1台分にもなった。

土曜日の朝、国民宿舎に届けると、こんなに喜んでもらえるのかと、被災者の方々のお礼を言ってくれる笑顔をみているだけで、思わず涙が落ちそうになるほど 気分が高揚した。

あれから1年。

今年も福島県のゼフィルスやキマダラルリツバメの採集ツアー開催時期になり、昨年物資を届けた以後も皆さんの好意は続き、集まっていた物資は昨年同様、車1台にもなり、国民宿舎の女将に電話をすると、まだ一部の被災者は帰ることもできず避難生活を余儀なくされているという。
今年もその物資を持って採集ツアーの途中国民宿舎に届けた。

個人個人のわずかな好意、心使いがまとまると大きな波になり、何らかの役にたてれることを思い知らされた。

ご厚意を頂いた方々には改めて感謝申し上げます。


2012年8月17日 (金)

まだ間に合う:奈川のゴマシジミ!

まだ間に合う:奈川のゴマシジミ!

松本市奈川のゴマシジミは多産していることで、採集者にとっても最高のフィールドであった。
昔は採集者も少なく、広範囲に生息していることもあり、大型の青鱗の発達した個体を選んでネットインしていたものである。

10年くらい前になるだろうか、私が発行している[関東甲信越の蝶採集・観察マップ]でこの地域を記載したことにより、採集者が激増!そのあげくが、この地域の個体数が多い古宿、寄合渡がゴマシジミ保護地域に指定されてしまった。
古宿は数年前から、寄合渡は昨年から看板がたち、保護を訴えている。
今日は今年最初で最後の奈川での採集であったが、立ち寄った寄合渡ではワレモコウに絡む多くのゴマシジミが見られた。
私の案内したポイントは保護活動をしている古宿や寄合渡ではなく、野麦峠スキー場近くの生息地!
今日案内したのは私の主治医、佐々部先生と慶応医学部に在籍する息子さん。

ポイントに着くと出迎えてくれたのは、青鱗が発達した大型のゴマシジミ!
ゴマシジミ初採集の陽平君、チラチラとワレモコウの周囲を飛翔するゴマシジミを初ネットし、思わずVサイン!
今年はさほど多くはないが、3人で40匹ほどの採集で昼前にはネットを収め、この地に来るたびに立ち寄る家があり、そこで頂いた冷えたスイカは最高!

この地域のゴマシジミは最盛期を多少過ぎた状態で、スレ個体はいないものの、2〜3割は破損個体が混ざる状態でまだまだ採集には間に合う!

最近のこの地域では大型の青鱗の発達した個体が多く見られるようになってきており、そんな個体を見つけると思わず気合いが入る。

山梨県の北杜市、甲州市、大月市、韮崎市などは発生初期で個体数は少なく希少個体であるが、これから狙える地域である。

小淵沢周辺のムモンアカシジミは帰り道に立ち寄ってみたもののまだ未発生であった。

2012年8月 6日 (月)

TV

蝶の標本は100箱以上。

ススメバチの巣、山から掘り出した水晶、子供の背丈ほどもある八重山諸島のマダモという豆の「さや」など、自然なものが多数飾られているお店「蝶屋」は、客層を含めて珍しいのか、TV出演の話が頻繁にくる。

今までにも「アッコにおまかせ!」や「ポンキッキ」「お宝鑑定団」などのほか、嵐、たけし、やくみつる、所の番組など、数多くの番組に出演してきた。 最近もたけしの番組など、数本の番組から出演依頼がきたが、TV局での撮影や出演は今は全てお断りしている。
お笑い系 ... とまでは言わないが、蝶には関係ない出演依頼が多く、内容が私でなくてもいいからだ。

さらに最近はBS、CSなどの出演依頼も増えている。

以前は現地に出向き収録することが多かったが、最近では採集地での撮影すら激減してしまい、安易な、記憶も残らないような番組が多くなってしまったのは、残念な傾向である。

2012年8月 4日 (土)

パトカーに続け

オオゴマシジミ採集の帰り道に、いつもお笑いを提供してくれるまるちゃんがまたまたお笑いを提供。
関越自動車道を快適に飛ばしていたのは 睡魔に襲われた黒沢 さんに代わりバンドルを握るまるちゃん。
助手席でうとうとしていた私は、激しいスピード感に目が覚め、「まるちゃん、出し過ぎだよ、危ないよ」「大丈夫だよ」と言いながら減速し、車を追い越し車線から走行車線に変えた瞬間、前を走っていた白のクラウンが覆面パトカー。
と同時に【パトカーに続け】という電光文字が後ろガラスに 点滅している。
やられた、スピード違反だ。
「イヤだ〜、私まだ罰金払ってないよ」とまるちゃん。
そうなのだ。
7月20日北海道ツアーで旭川空港から層雲峡に向かう途中道路脇の引き込み道路に張っていたパトカーに気がつき急ブレーキを踏み、減速したが後の祭り。パトカーに追われ、パッシングで止められ、なんと[採る前に捕られてしまった] 18kmオ―バ―のスピード違反である。
その罰金を払い込む前に再度のスピード違反だ。
【パトカーに続け】を点滅しながら走るパトカーに続きしばらく追走していると、突然その点滅が消え、パトカーのスピードが一気に減速する。
追い越し車線に車線変更し、パトカーを抜きながらみると、 覆面パトカーの運転している人が先に行くように手を振りながら合図している。
半信半疑でそのまま隣車線からパトカーを抜き去りなからパトカーの動向をバックミラーでみていると、それまで我々の後を走っていた黒の乗用車がパトカーに先導されてバス停へと入っていく。

なんとスピード違反で捕まり、停車しても安全なバス停まで違反車を連行中の間に我々の車が入り込んでしまい、自分たちがスピード違反をし、【パトカーに続け】とやられたと勘違いしてパトカーの後を走っていたが、焦ったのはパトカーだろう。
スピード違反の車を捕まえ、連行中に変な関係ない車が後からついてくるのだから。
そんな状況に気がついた我々はおお笑いだ。
多分我々以上に困惑し、お笑いしたのは覆面パトカーの二人のお巡りさんだろう。

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